統合失調症を治す方法を体験談から学ぶ

今回は、統合失調症で悩んでいる方の体験談です。

統合失調症は、精神的な病としての印象が強いですが、そのメカニズムとしては脳内のトラブルによっておこるものです。

つまり脳の異常による病気だと言う事です。この病気は、周りの人と統合失調症を患っている人との温度差が激しく、なかなか周りの人に理解されずに悩んでいる方も多いかと思います。

今回の体験談では、そんな統合失調症との付き合い方が書かれており、統合失調症を治す方法に深く関係しています。

まずは体験談をご覧いただき、その後統合失調症を治す方法を考えていきたいと思います。

統合失調症を患ってからの生き方

20歳を直前にして、ずっと投薬治療を続ける統合失調症という「こころ」の病気を患い、病気とどう付き合って行けば良いのか、人間関係を築くうえでどうすればよいのか、第一の当事者として、過去には、散々悩みあぐねました。

これまでの人間関係についての悩みについても、やはり、病気のことが影響をしていたことは、間違いありません。

それらを、どのように決着を付けているのかを経験談を通しての自分なりの対処をお話していきたいです。

ひどい症状としては、幻覚のために、こころが均衡を失い、情報などの整理整頓などが、優先順位を付け辛くなる症状です。

普通の人間関係を難しくする病気でもあります。現在では、見た目にはそれほど、影響しないときもあるのかもしれませんが、疲れやストレスが溜まり、時には休みを必要とします。

一方で、ほとんどそれらは、一時的な自覚症状でもあります。原因が、ストレスであるとしたら、食事や睡眠によってもある程度は、解消できます。

しかしながら、普通の人間ができる普通の生活を営むことが出来る人間関係を、意識したとたんに、生きることそれ自身が難しく感じてきます。

振り返っても、自分自身は、ある意味では、重篤な病気でもあるような気がしますが、たとえば希望の大学に合格したり、結婚にも至り、所謂、大企業にも就職することも経験したり、今、仕事探しをしているところですが、働くことも恋をすることも、人並みではないかもしれないけれども、多かれ少なかれ、一生ものの病気を患った割に、良い機会に恵まれていた方だと思っています。

かつて、自分についてもやはり、統合失調症という病気であるとして、それらをどのように理解すればよいのか、あるいはどのように理解してもらえばよいのか、とても難しいことのように思ったことがあります。

しかしながら、許される範囲の失敗があるとしたら、それらが許される社会の存在があるはずです。

同じように、病気=失敗ではありませんが、病気であっても、それらは、社会が許容する範囲のことでもあります。

自分を障害者という、ステレオタイプなカテゴリーにくくってしまうことだけでは、良い結果を産み出すことに繋がりにくいかと思います。

シンプルに「しょうがないなぁ」と考えました。病気でもあるわけですから、休み休みしながら過ごすことが出来る時間があります。

人生の時間としても、自分ならではの時間が、たくさん供給される訳です。

それは、逆に考えれば、自分のライフワークに没頭できる時間さえあります。出来ないこともありますが、他の人間に出来ないのにかかわらず、自分に許されて出来ることがあります。

統計的には、同じ病気の人間は100人にひとりぐらいの確率ですから、かなり同じ病気を抱える人間がいるのです。

情報化社会では、同じ病気の人間と出会うことも可能です。そんな恵まれた時間を通して、個性的な人間関係も育むことができます。

ゆったりとした時間の流れのなかで、自分やら社会ですら眺めることも出来ます。

病気とのかかわり方も、きっかけを大事にすることで随分と変わります。例えば、薬についても、昔よりも副作用の少ない薬があったりします。

けれども薬だのみではいけません。文字通り、妥当な考え方や意味のある道理も、薬の代わりになることもあると思います。

僕も大変な時は、人並みに働くことや恋をすることですら、難しい問題でもあり、それらの問題は、山積み(あるいは底なしの海だったかも)になっていました。

果たして、どうすれば具体的に、人並みにも生きていくことが出来るのでしょうか。もしくは、病気になってしまった自分は、自分らしさのある人生をあきらめる必要が出てくるものなのでしょうか。

しかしこれは両方ともネガティブな考えになる必要はありません。自堕落な必要はないけれども、具体的にマイペースに生きるきっかけが、人生のテーマにもなるでしょう。

投薬治療を続けていても、それらはどうして投薬治療を続ける必要があるのか、ということそれ自身の問題にも行きつきます。

まずは、自分と上手に向き合うことが大切です。病識の有無が大きく問題を前向きに捉える上で大切になってきます。

病気に関わることは、それ自身についても、悩みそのものであるからです。

同じ病気になった人間と本音のこころの交流を持つ時間が、生活やら人間関係にかかわる問題の解決につながっていったと考えます。

社会復帰を真剣に考えるうえでも、その問題の解決は、生き方の基盤にもなります。

自分がどういう病気でどういう症状がどういう影響を生活に与えるのかという、病気への理解を通して、自分の人生を推し量り、そして、自分の人生で必要に応じて意思決定を行っていくことが、やはり、一度しかない人生を豊かなことに必ず育んでいきます。

それらの人生の延長には、働くことや恋をすることについても、自分なりの体験が、積み重なっていくことになります。

そういった経験に実態を持たすためには、やはり同じ病気を患っている、具体的な人間の意見や立場について、社会のなかで、どれだけ尊重できるのか、という点が必要かと思います。

それができれば、自分たちが社会に生きる必然性が理解できるからです。

それらは、最も現実的な人生への想像力と言っても、言い過ぎではありません。その視点を得ることができれば、見えないはずの社会ですら見えてきます。

先にも述べましたが、統合失調症は脳内の以上からくる病気です。

脳の病気はその他にもさまざまな病気があり、そして脳に限らずいろんな病気があります。

周りの人からの理解と言うのは、その病気によって大きな差がありますが、自分自身は同じ病気だとしっかりと認識する事が大事です。

間違っても自分は変わった病気になってしまったんだという認識はしてはいけません。

その中で、体験談にもあった通り、自分の生活リズムの中で何が出来て何が出来ないのか。それを自分自身がしっかりと把握する必要があります。

他の病気になってもこれは同じですね。病気で後遺症が残ったとしても、出来る限りで自分に出来る事をやっていかなければなりません。

その事をしっかりと認識して、毎日を過ごして行けば健常者とそん色ない生活を送ることは、十分に可能な事です。

そしてこれこそが、統合失調症を治す方法という事に直結します。

治る治らないという身体的な事を気にするよりも、努力をすれば普通の生活を送れるようになっていく。

これこそが、とりあえずの最終目標なわけです。そこまでいけば、病気の事を気にしすぎるという事が少なくなってきますので、好循環になっていきます。、

身体的な変化を自分自身の意志で変えていくのは非常に難しいですが、こういう考え方を持って生活をしていけば、少なくとも統合失調症というものに対抗する自分と言うものが出来てきます。

そうなれば本当の意味で病気と闘うという地盤が出来上がりますので、まずはそこを目指して考えてみましょう。